デジタル派よりも、アナログ派な感覚について

発信力をつけたいけど、謎に紙に書きたい派で、どうしても紙にまとめてしまう。

それを発信する方法といえばまあ紙を写真をとって載せればいい話なんだけれども。

 

最近仕事で、私は人間という方向性でやっていくと決める瞬間があった。アドバイザーということもあって、毎日10人ほどの学生とやりとりをしている。

 

ドンピシャが好きということ。これは「ヨミ」が好きだということ。

昔から、誰かや何かのドンピシャを狙うのが大好き。マッチングが大好き。

徹底的に情報収拾して、成功までのパターンを幾つも作り、そのパターンのリスクヘッジをしながら、成功までの最短ルートを身体で計算する。つまり、超感覚人間なのだ。

私は、ストレングスファインダーにて、戦略性が2番目にある。正直意外すぎて、最初に見た時は、え?というかんじだった。だって数学できないし、数字苦手だし!ってね。身体で計算してきてしまった。何が売れるかとかを考えるの好きーー。

 

人間の心(モチベーション)に携わりたい。どんな時に人間は動くの?君のことももっと教えて欲しい。

 

最近、随分とデジタルな世界になってきたなあと思う。インターネットが普及し始めたころに憧れてた、サイバーパンクな世界観がリアルとシンクロし始めてる現状は、自分が随分歳食ったということを思い知らせてくれる。

 

なんかさあ〜みんなデジタルやるんだったら、アナログ強い人間って、市場価値高くなるんじゃない?こうやって流行をヨムのも面白いんだなあ。

いつかは未来とか、トレンドをヨメる人になりたいなあ、趣味としてはチェスとかやりたいなー。

 

っていう独り言。

 

人生という名のゲームをプレイしている感覚について

久しぶりにブログを書く。どうやら、文章を書くことは好きではないらしい。毎日書きたいと思わないからなあ。そうか〜毎日飽きずできるかどうかが自分の中でも『好きかどうかという基準』らしい。なーんてね。

 

最近、私はずっと『人生』というゲームの中で、1プレイヤーとしてゲームオーバーになるまで遊んでいる。人生に当てはめたら、それは一人の人間として生まれ、生きて、死ぬということ。

 

私は現在、ビジネスというゲームが、面白くて可笑しくて楽しくて苦しくて仕方がない。「苦しい、辛い、解んない、なんで?それでも毎日やりたくなっちゃう感情」をくれる、超絶楽しい。

 

とある時からこの感覚に気づいた。なにかね、いつだっけ。ああ、そうだ、多分5月の頭頃から。

 

私の仕事内容は、「コト売り」。つまり、自分のアイディアや思考、紡ぎ出す言葉、声、感情、『私自身』が商品。ゲームでいうと、装備とか武器を持っている、というよりも、魔力とか、特殊能力とか、超能力かな。特に、お客様という敵と電話でしか接点を持たないから、リアルに私の内面で戦闘している。

 

プレイングしてみて思ったこと。ドキドキ、イライラ、ワクワク、ハラハラ、モヤモヤ、ウキウキ、全部の感情がエキサイティングだった。なんて、なんて面白いんだ。

 

今の仕事の面白さを語る。

まずは、1人あたりの対戦時間が長い。且つ、敵の数(利害関係者)が多い。時には、交渉次第で敵が仲間になることもある。そして、何より一人あたりの敵を倒す影響力が大きい。私は、敵(お客様)の人生というゲームの志向性を自分がシャープにしていく戦い。

そして、何よりお客様と自分を信じること。このゲームをクリアできると最後まで信じ抜く。

 

私は最終的に魔力を貯め続けて、様々な魔法を使えるようになりたい。

それはなんのためにって?決まってる、私の人生というゲームをよりエキサイティングに、エキゾチックに、ファビュラスに、ファンタスティックにするために。ミラクルで毎日を新しいものに更新していくために。だから私は闘う。どんどん経験値を上げて、自分を次のステージ・次のフィールドに立たせる。毎回違う空気を吸って吐くたび前に進んでいる。この新しいものに毎日囲まれながら、どんどん使える魔法を増やしていきたい。

正義感という感覚について

『正義感が強い点が良いと思って採用したい』『正義感が強み』

自分の担当人事にも、上長にもそう評価されている。自分では正義感が強いなどと思ってもいなかったし、そう言われて納得もしていなかった。

 

正義感が強いってなんだよ?どういう意味だよ?初めて言われたのは採用時。内定をもらい、承諾するか迷っていると正直に担当人事に伝えたところ、電話越しにそう言われた。一体この人は、私の人生のどういうエピソードから、正義感があると感じたのか。これぞ、まさにジョハリの窓という奴なのだろう。私の正義感ってなんだ。気になって気になって仕方がない。つい3日前までは、自分の『正義』という言葉の定義を理解していなかった。

 

とある会議での上長が放った一言で、自分の正義が何かがわかった。『現状と理想とのギャップを埋める為に行動しよう』、そんなニュアンスの言葉だったかな。その時、思わず私はこれだと思った。『自分にとって理想の状態が正義』だと思った。

 

手元にあったマイノートに、力強く、且つ素早く書いた。今、その文を見返した。きっと、その言葉に対するリアクションが大きかったことを自分でも自覚した為に、同期の目が一斉に私ノートに向いた気がしたから、ちょっと恥ずかしくなって、サっと書いたんだろうという筆跡が残っている。

 

なるほど確かに、今まで悩んできた事柄のほとんどが、自分の正義感の強さだったのではないかと腑に落ちてしまう。私の正義の定義が『自分にとって理想の状態』だとしたら、そりゃあ自分にも他人にも厳しい。思えば、小さい頃から『正義』感が強かった。というのも、理想の状態と向き合うことから私の人生は始まったからだ。理想の状態とはお手本—つまり、書道で使うお手本だった。

 

4歳から書道を始めた。私は長女だから、これでもかというくらいに過保護に愛された。母は、娘には自分のようにならないで欲しいという気持ちが強く、自分の人生でやらないで後悔したことを娘に習わせた。

 

私は幼少期、毎日毎日お手本という正義に、理想に向き合った。そして、その理想どおりの字に近づくために、何度もなんども先生に添削してもらい、何枚もなんまいも書き続けた。理想と同化するまで。

 

理想と同化する感覚が好きになった私は、まんまと完璧主義者として成長した。できている状態が当たり前。徹底的に「できない」を潰す日々。受験勉強の為に通っていた塾で、親しかった友達が勉強ができないと嘆いていたから、私は『なんでできないの?』という言葉をため息と一緒に口から出した。すると友達は次の日から喋りかけてこなくなった。その友達と親しかった友達も、私に喋りかけてこなくなった。こうしてクラスに一人も友達がいなくなった。

 

自分の理想の状態、正義を押し付けてしまった。そう思った。その日から私は、もう自分の価値観を他人に押し付けるようなことはしない。そう誓った。生きているみんなが正しい。そう考えるようになった。要するに、他人に甘くなることができるようになった。ちなみに、その友達とは高校時代に心から謝罪して、和解しているのでご安心を。

 

こうして、高校・大学に入ってからは、多様な価値観を大事にしたいと思って4年間、特に後半2年間はそう生きていた。

 

それなのに、社会人になり仕事を始めた途端、自分の正義が仲間との関係を悪くしている気がする。理想に近づくためには、改善の積み重ねが必要だ。1ミリたりとも足りないなんて状態ではいけない。そういう考えが私の中にはどうやら在るようだ。所属しているチームも自分だと考えているために、ちょっとした悪—現状が気持ち悪いと感じてしまう。それは事業部に対してもそうだ。

 

なんて最低だ。仲間は現状を良しとしている訳ではない。むしろ改善したい気持ちでいっぱいで、週末だってブルーな気持ちで帰っているはずだ。当然、自分だってできていないことだってある。こうして、私の自己嫌悪の幕が開けたのである。 

 

なぜ焦っているのかを思考する感覚について

焦燥感に駆られている。

 

それは自分が負けず嫌いだからなのだろうか。そう考えると、今自分は久々に自己中心的だ。常に私の思考・行動軸は相手にあったのに、その状態は変わりつつある。とにかく、誰にも負けたくない。中でも負けたくないのは自分だ。自分に負けるのが1番嫌いだ。イライラして堪らなくなる。

 

ぶっちゃけると、今は自分でなければ出来ない仕事をしていると思う。勿論、就職活動時の軸は『介在価値を発揮して働きたい』、『成長意欲を存分に発揮できる環境で働きたい』、他にも色々想いはあっただろうが、主にはこの2軸で活動していた。そして現在の会社に入った。

 

冷静になると、人の人生に大きく影響を与え、左右する。そんな責任の重い仕事をしている。1年目からこんなにも真剣に、毎日感動で震えながら、やりがいのある仕事が出来ていることに感謝しかない。

 

でも、本当にこんなにも幸せでよいのだろうか。こんなにも幸せで楽しいことに、不安を感じてしまう。どうやら私は、前に進む感覚が欲しいらしい。本当少しでいい、1mmでいいから、昨日よりも成長した、という実感が欲しい。こんなにも成長・達成意欲が高いとは思わなかった。

 

我慢は得意だ。なんなら1番得意かもしれない。とは言え、我慢が何故得意なのかという理由には、成し遂げたい目的が今までにあったからだ。その為ならなんだってするのだ。そうしてきたのだ。犯罪や人の心身を傷付けること以外なら、例え自分が傷付こうが、流されようが手段は問わない。現在の仕事をこなしている先に待っているものはなんだ?成長した姿ってどんなだ?それがイマイチわからないでいる。

 

1番欲しい力はヒアリング力だけど、その力は本当に身に付いているのだろうか。

成長の実感が湧かない。現在の仕事のゴールは何なのだろうか。事務作業がかなり多いからだろうか。この事務作業をどうにかして早くこなしたい。この事務作業をスーパー早くする為にはどうしたらよいか。事務作業の操作に慣れることが成長なのか。

 

一体いつまでこのモヤモヤは私の中にいるのだろうか。

仕事を通して、自分の輪郭がシャープになっていく感覚について

社会人になって、早くも1ヶ月が経とうとしています。いや実にびっくりします。1日が5時間くらいのように感じる。早く金曜日こないかなと思っていた月曜日が気がついたら土曜日になっているではないかあ。

 

仕事が出来なすぎて、何もやっていない感に陥っています。この何もやっていない感がに私は強いストレスを感じています。ああ、こんな話をして自分に嫌気がさす前に、今週の仕事(自分)の振り返りを。

 

・達成欲がどうやら強いみたいです。←New!

・物事の優先順位をつけることが苦手みたいです。

・パソコン操作が遅いです。←New!

・力のバランス感覚(配分)は苦手なようです。

・緊張しいです。

・人材育成に興味があるみたいです。←New!

・割とサクサク本を読めるみたいです。←New!

 

新しい自分の発見があるって不思議だと思います。だって22年間一番そばにいたはずなのにまだまだ知らないことが沢山でてくるんですよ。私は誰一人として同じ人間はいない点が面白いと感じるので人が好きですが、中でも自分という人間が一番面白いのかもしれないと思いました。

 

話は変わりまして、今日は後輩の就職活動のお手伝いをしてきました。去年の今頃は、私も予想もできない未来の自分と社会を妄想し続け、それを面接でアウトプットする就活をしていた訳ですが、ようやったなーって思います。特に、外向的な人間なので、面接でいうことがコロコロかわっていたことを思い出します。自分のことも社会のこともこんなにも知らなかったのだから仕方ないと思います。だって、学校では自分のことについて勉強しないし、社会のことについても現代社会とかでしか勉強しません。知らないことをすぐに、誰もが調べられるようになってよかったなあと思う毎日です。つくづく、ネット社会に感謝。

 

『顔は毛で出来ている』という私の見解を、どうか最後まで聞いておくれや

毛は、「顔」だ。

私は、顔を美しく見せる為に『毛を整えること』に命をかけている。

特に、顔の毛だ。

この文章において、顔の毛には前髪・眉毛・まつげの3種類があると定める。

私はこれらの毛を、「三種の神毛(さんしゅのじんげ)」と名付けている。

そのような名前をつけるくらい、毛とは顔を美しく魅せるために極めて重要な要素なのである。

それでは、いかに三種の神毛が重要なのかを説明する。

『顔は毛で出来ている』という私の見解を、どうか最後まで聞いておくれや

 

三種の神毛その①前髪

アイドルの前髪は、動かない。

ぴょんっと跳んでも、くるっと回っても、だくだくと汗をかいても動かない。

この動画の0:13の瞬間を見てほしい。

www.youtube.com

お分かり頂けただろうか。

上にも下にも跳んでいるのに、前髪が1センチ足りとも動かない。

美しい人や可愛らしい人は、毛に対しての気配りを怠らない。

前髪は、顔の一部なのだ。

 

三種の神毛その③ 眉毛

石原さとみが眉毛を整えていなかったら、なりたい顔ランキング殿堂入りを果たしていなかっただろう。

イモトアヤコが眉毛をマジックペンで極太く書いていなかったら、あそこまで強烈な印象を国民に植え付けることは出来なかっただろう。

以下のまとめを見てほしい。

matome.naver.jp

お分かり頂けただろうか。

眉毛が自分の顔にあったバランスの良いものに整えられていない顔は、美しい以外の印象を呼び起こしてしまうのだ。

すっぴんになった際に眉毛がなくて困ってしまう人は、直ぐさま眉毛ティントすることをおすすめする。

三種の神毛その③ まつげ

眉毛と目の間隔が狭ければ狭い程、美人に見える。(と思う。)

girlschannel.net

間隔が広い人は、諦めないで欲しいのだ。

まつげをビューラーで上げるだけで、眉毛と目の間隔を狭くすることが出来る。

正確にいうと、狭いという錯覚を起こすことが出来るのだ。

まつげを上げると顔が変わる気がするのは、まさに眉毛と目の間隔を狭くする錯覚を起こしていること他ならないのだ。

「顔(毛)」がいかに重要かということ

相手を認識する時に、人は顔を人と認識する。

例えば、初対面の人と出逢い友人になる場面を想像してほしい。

その映像は、顔を君の顔に向けて、目と目を合わせて、そうして初めて「初めましてこんにちは。」という流れになるだろう。

人を顔を除いた身体の形で、言い換えると首から下の形で覚える人がいるだろうか。

それは、真の変態だ。

それはそれで、君は素晴らしい個性の持ち主だとも思う。

あなたを思い出す際に友人が真っ先に思い浮かべるものは、あなたの「顔」なのだ。

「顔を美しく魅せたい」という想いをうちに秘めている人は、あまたいると思う。

是非、明日からのメークアップタイムにて、三種の神毛を整えることに最前を尽くしてほしい。

アイシャドーやリップ、チークの有無は関係ない。

三種の神毛こそが、あなたの「顔」なのだから。

志向散漫って四字熟語、まさに私のことで(苦笑)状態

私のタイプは、『志向散漫タイプ』らしい。

就職活動していた頃、よく使った性格診断シリーズの中でもお気に入りのサイトがあった。適職診断VCAPというサイトだ。その時にどんな結果が出たのか忘れたし、そろそろ内定先の配属面談があるから唐突にやってみた。

いろいろなことに興味関心を持ち、いろいろな自分を表現したいタイプです。好奇心が強く、朗らか自由奔放な側面と周囲に認められたい側面とを併せ持っており、自分の中でそれらの調整をつけることにストレスを感じてしまいます。知性、理性、論理性を高めることで自らがなすべきことが明確になり、ストレスは緩和されるはずです。
vcap.vone.co.jp

今、まさに、ストレスフルな日々を送っている。自分の中で『純粋な好奇心』と『承認欲求』の調整が入り交じっている。就職活動時、これらの素質が私の中に存在していることは理解出来たが、調整出来ていないということに気付けなかった。気付けたきっかけは、ヒトやモノ、コト、バショ、トキとの出会いだった。故にこれからも私という人間を高めてくれるのは『何らかとの出会い』なのだろうと思う。

アドバイザー的立場から本人の志向と行動を把握してあげることが重要です。本人の進むべき方向性を随時明確に示してあげるとともに、なすべきことを本人にも同時に考えさせることで成長を促せるでしょう。成長可能性の見極めが難しいタイプだけにまずは本人の志向と行動を正確に捉えることが先決です。

これは、業務上の留意事項。どうやら私は、マネジメントが得意な上司に近くで見ていてもらえた方が幸せなようだ。是非配属面談時にもの申そうと思う。いや、やってよかったこの診断。

ちなみに、理解度が低いらしい。ここでいう理解度とは、「合理的な大人の心」だ。五月蝿いと思った。しかし、単なる五月蝿いではなく、耳が痛いから五月蝿い。合理的な大人の心を持てるように行動しようとは思うが、そのことはまるで私の『シュルレアリスム』というかけがえのない、尊い個性を消し去ってしまうのではないか。懸念点はここだ。自分を客観視するというスキルも身につければ、行動は未遂となるだろう。

あー。久々に自分と向き合って疲れた。きっとまた書きます。